今年の夏休みは、本当に衝撃的なことが数多く起きるこった。
私の毎日がネタなんじゃないのレベルで、事件しか起きない\(^o^)/
 
少しだけ、Blogというか自分と向き合う時間が出来た。
7月末〜8月上旬は、毎日分刻みで動いてて自分でももはやがむしゃらに突き進むしかなかった。
漸く余裕ができた今、棄ててきてしまったもの・まだ拾ってこれるもの何が私には残されているのだろうか。

とはいえ、私が今年の3月〜全面的に関わっていた今年の夏の目玉行事であった第九が終わった。
企画1つを立ちあげ成功させることに、自分の非力さを痛感して。
でもその後の予想以上の反響に、自分自身がとても喜んでいたりして。
未だに、震災場所にボランティアに行けなかった自分をずっと悔やんでいたけど、このような関わり方もあるなら私はそれはそれで1つの形になると思う。
もっともっと、どんな形が良いのか分からないけど私は人と人との関わりあいがもたらす新しいカタチでの何かを残せていける人になりたいなー。

最近は、悩むことは極力避けるようにしている。
相変わらず「悩む」と「考える」の違いは完全には分かっていないんだけど、それでもとにかく一歩でも前に進むためにどうするべきかを考えるようにしている。

色々な理由にかこつけて、SDMから場所的・心理的距離を取った2週間。
昔からの友人とついつい朝までコースを1日おきにやってしまったり、美味しいもの食べにでかけたり、夏期講習で朝の10時〜夜の10時まで拘束されてみたり。それでも頭の中で常に「都市開発」は渦巻いてたし、沢山の高校生の社会への提案を見てきて、随分ヒントを貰ったり。
全くコミットしなかった訳でもないけれど、でも同期に最近見ないねと言われていたくらいんなんだから、時間的には確かに居なかったという事実。
今の私にはSDMの存在が、通うこと自体が本当に正しいことだったのかすら自信が持てていなかった。
社会人になった友人に会えば、あの時に内定を蹴ったことが正しかったのかもよく分からず。
あえて、留年の道を選んだ友人にあえば、海外1年くらい行ってても良かったのかなと思ったりして。
すごく自分の中で曖昧になってしまった「勉強することの意義」に対して、考えた。
で、出した結論はやはり私にはSDMという場所は欠かせないということ。
ここで得た力を私はどのように、社会に還元すべきなのかを考えていきたいなーなんて、ふらふらと考える。

今日はDpro。私もそろそろ、意識を大学院に戻さなければ。